生きるために今日からできること

がんと付き合いながら、無理せずゆたかに生きる方法

乳がんの再発 脳転移について【ICUとリハビリ編】

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こんにちは♥ふくみみです

前回のつづきです

開頭手術の成功までを書きました

www.fuku-mimi.work

今回は、術後から退院までを書きたいと思います

 

ICU

手術のあと、脳の腫れを抑えるための点滴や、血圧、心拍、酸素などのモニタリングや、導尿でわたしの体は管や線がいっぱいでした

『痛くないですか?』はじめに聞かれたときは

『大丈夫です』と答えたものの、しばらくすると結構な痛みがおそってきました

食事は、一応出るけど無理してとらなくでいいからね

痛いときは我慢せずに看護師に言いなさい、薬の指示はしておくから』先生が言っておられたのを思い出して

『これか』とつぶやきました

 

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ベッドを起こしてなるべく頭が触れないように首に枕を挟んで、頭が触れても痛くないところを探し右を向いたり左を向いたりしていました

 

少し動くとモニターが異常を知らせる警報を鳴らしてピーピーうるさかったです

 『隣の人に悪いなー』カーテンで仕切られているだけで、隣にも手術直後の女性がいらっしゃることはわかっていました

だから気になりました

 

『お名前は?生年月日は?ここはどこ?』わたしが、倒れたときに救急車の中でも、救急病院でも繰り返された質問をその女性も何度もされていました

『あれー?ちょっと違うよ、昨日は言えてたのにね』『あーそー?』そんなやり取りが繰り返され、2日目なんだなとわかりました

 

わたしはと言えば、とにかく出来るだけ眠って時をやり過ごし、そのうち時間がたって、明日には少し、次の日にはもう少し良くなるはず

 『楽になるまでに30歳で3日、80歳で8日は、だから、まあ、ふくみみさんはその中間かな?ちょっとしんどいと思っといて

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 早く時間が過ぎてくれるのを、眠りながら待つのが、唯一辛さをやり過ごす方法でした

それなのにピーピーなるたび、自分だけじゃなくお隣まで起こしてしまうのを申し訳なく思って、なるべくゆっくり寝返りを打ちました

 

そんな風に、痛みと戦いながら時をやり過ごしていたことと、次の日の早朝、看護師さんたちが、やたらと仲良く楽しそうにジブリアニメの話をしていたのがICUの思い出です(今思えば微笑ましいのですが、その時はうるさかった)

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子供たち

面会は昼と夕方、30分ずつ、同時に二人までだったと思います

手術の次の日は土曜日で息子と夫がやってきて、直ぐ帰りました(あまり覚えてない)

夕方、娘が来て『明日は焼き栗の仕事をしに行ってくるね』と言ってくれ

『後のことは任せといてママは体のことだけ考えて』といってくれました

 

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手術前に、気になっていた事の一つが、ゴールデンウィークの間の焼き栗販売の仕事のことでした

娘は一人で、できる限りの準備をして引き継いでくれていました

今回救急で運ばれたときに付いてくれた中学3年の息子といい、いろいろ、あわてず準備してくれる娘といい、いつの間にか、体の大きさも何もかも追い抜かれてしまったなあと、嬉しいような寂しいような気持ちでした

リハビリ

一般病棟に戻ってから毎日、午前と午後、交代でリハビリの先生が来られました

『凄いねーふくみみさん、リハビリいらんのと違う?』そう言われると気分がよく

『もっと頑張ってびっくりさせてやろう』気合が入りました

3~4日はかかると言われていたのに、2日で一般病棟に戻った、わたしは少しでも早く元気になろうと頑張っていて、自分ではリハビリなんかいらないくらい元気だと思っていました

 

女の先生は言語聴覚士で漢字テストやナンバープレイス、積み木のパズル、ちょっとしたクイズ、そしていろいろお話しました

男の先生は作業療法士で小さな玉を穴に入れたり、ハンドクリップを使って木片をびんに入れたり、洗濯ばさみで小さな突起を挟んでいったり、卵の殻を使って『令和』の手作りカレンダーのお手伝いなど、手作り感満載の訓練をしました

 

周りは親より年上のおじちゃんおばあちゃんたちばっかり、10年ほど前になくなった父が通っていたデイサービスみたいで、なんだかホッとするような部屋でしたが、まけずぎらいのわたしは結構真剣に取り組んでいました

 

この二人の先生は、術前から術後までずっとわたしを観察して、脳外科の先生に小さなことまで報告してくれていました

高次脳機能障害

この二人の先生の存在はわたしにとって、本当に大きな支えでした

こんなことがありました

夫に電話をしてもいつも話し中、娘にラインを送っても既読にならない、かけなおしてもくれない、だんだん不安になって、見捨てられたような気分でさみしくなっていました

翌日、娘がやってきたとき、わたしは怒っていました

娘は『ラインは来てないよ』といい、

夫は『電話はかかってきたけど、なんべん呼んでも返事がなかった』といいます

 

電話を確認すると、あれ程一生懸命、何度も打ったはずのラインは、やり取りの形跡どころか、文字の一つも残っていません

『狐につままれたみたい』

電話の方も、どうやらわたしは、耳に当てることを忘れていたようでした

夫があきらめて電話を切ったあと、受話器を耳に当てて切れていることに腹を立てていたのでした

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歩行のリハビリも兼ねて、病室から歩いてリハビリ室に行くのですが、4F~1Fにエレベーターで降りるとき、わたしは、どの階で止まってもドアが開くたびに降りようとするので、先生方は『1Fまで行きましょうね』と何回静止してくれたかわかりません

 

どうして自分の降りる階だってわかるんだろう?

一生懸命考えて、やっと、『今いる階が何階か表示されている』という当たり前のことに気がつきました

『これだ』とすごく嬉しくなって、1Fなるまで『4,3,2,1』と心の中で数えていたのを覚えています

 

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言語聴覚士の先生に、夫や娘たちとの電話のトラブルのことを話したときは、『ラインなどは、非常に高度な作業なので、すぐには上手くいかなくても焦らなくていいですよ

一緒に練習しましょう』と、とても自然に、対策だけを一緒に考えてくれました

今思えば、何も満足にできたなかったわたしを毎日励まして、引っ張り上げてくれました

退院の日

そして、ウエスト市民病院で令和を迎え、5月の2日に退院できる日を迎えることができました

最後の日、作業療法士の先生は、いつもの訓練はせず、『庭を散歩しよう』とさそってくれて、退院してからの注意点を丁寧に話してくれました

そして最後に『ふくみみさんは、一見全く問題ないので、これから社会復帰したら、いろいろ壁にぶつかるかもしれないけど落ち込まないででくださいね、こんなに元気になったことは本当に有り難いことで、僕たちも応援しています

高次脳機能障害、まだわたしには少し普通の人とは違うところがあるのかもしれません

自分では、なかなか気づくことのできない障害です

 

とにかく、一刻も早くガンマナイフを受けていただくために送り出すのがわたしの任務だったので、予定通りに進んでホッとしています

退院の日、脳神経外科の先生は、乳がんの主治医と連携して、次のスマイル病院の先生に予約をとってくれていること、これまでの乳がんや今回の経過など全て資料をまとめて用意してくれていることを説明してくれて、それぞれの先生からの2通の手紙と、CDRとファイルをくださいました

そして、もうひとつわたしの抱えている、問題について話されました

『運転は一年経ったら診断書、書くからそれまで我慢してもらわないとしょうがないね』

そうです、わたしは車の運転が最低一年はできません

1年後、先生の胸三寸というか、先生の診断によってまたできるようになるかもしれないし、さらに1年延びるかもしれません

もちろん、今回は運が良かっただけで、発作を起こしたのがもし運転中だったら、と考えたらゾッとします

でも、運転できるかどうかは死活問題である人も多いので、判断を迫られる医療従事者は、どこまでも責任が重くて大変な仕事だなあと思います

運転免許

脳の神経細胞は普段、適切な信号をその都度、送り出して、体の動きをコントロールしていますが、病気や治療の影響で、ある場所の神経細胞が一斉に興奮し、一度に信号を送ることがあります

このとき起こる発作をけいれん発作といいます

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道路交通法では、一度けいれん発作を起こすと運転が禁止されてしまうという問題があります

運転を拒否をされない場合
  • 道路交通法では,以下のように書かれています
  • 発作が過去5年以内に起こったことがなく、医師が「今後、発作が起こるおそ れがない」旨の診断を行った場合
  • 発作が過去2年以内に起こったことがなく、医師が「今後、X年程度であれば、発作が起こるおそれがない」旨の診断を行った場合
  • 医師が、1年間の経過観察の後「発作が意識障害及び運動障害を伴わない単純部分発作に限られ、今後、症状の悪化のおそれがない」旨の診断を行った場合
  • 医師が、2年間の経過観察の後「発作が睡眠中に限って起こり、今後、症状の 悪化のおそれがない」旨の診断を行った場会

初めてブロクを書いた日に、わたしは、車の運転ができないことを嘆いています

息子が風邪みたいで学校から早引けしてきました

(学校の)先生が車で自転車の後を着いて見守ってくださったらしいです

 

先生ありがとうございます🙇

 

ちょっと前なら車で迎えに行っていたけど、今は、それもかなわへんのです

 

何しろ、一年は運転禁止

2ヶ月前、4月に痙攣発作で倒れて救急搬送されたのです

乳がんが脳転移したのが原因でした

おかげさまで手術とガンマナイフ治療を受けて今は落ち着いております

 

が、バスも電車も一日数本の田舎町、コンビニまで行くにも車で10分はかかるんですよね

ツバメみたいに飛べたらええのになー

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まとめ

今回は、術後の出来事と退院しても抱えている問題について書きました

運転ができなくなったことは、わたしにとっても決して小さなことではありませんが、一つできないことが増えたから、一つできることが増えるのかなあとも思います

ブログとの出会いは大きいです

 

次回、ガンマナイフについて書きたいと思います

最後まで読んでいただきありがとうございました